【韓国になぜ来たのか】【なぜ日本語教師になったのか】についての私の生い立ち①
こんにちは、あきりんです。
今日は
【韓国になぜ来たのか】
【なぜ日本語教師になったのか】
についてお話ししようと思います。
まず、「なぜ韓国に来たのか」
についてですが、韓国人の彼との結婚を機に韓国の大邱に嫁いできました。
広島出身の私にとって大邱は結構な都会で日本で言えば名古屋を思い出す程の大きさでした。かの有名なBTSのテテとシュガの出身地ですよね。
日本語が全く話せない彼と一緒になりたくて大邱にきましたが、元々「韓国に留学したい!住みたい!」といった思いがなかったため、韓国に来て数ヶ月後にはホームシックになり日本を想わない日はありませんでした。
何よりも辛かったのは、バイトにしろ、パートにしろ大邱で仕事が出来なかった事でした…
日本では仕事人間でずっと仕事をしていて、休日は好きなカフェに行って癒されたり、素朴なりに趣味生活を満喫していました。
ですが韓国に来てからは日本より自由がなく、出来ることに限りがあり絶望してしまいました。
こんな生活を送っているうちに、引きこもりがちになり、不眠症や鬱に悩まされてしまいました。
日に日に荒れる私を見かねた旦那は、日本人の交流会が、とある日本料理屋さんであるという噂を聞き、その会に参加することにしました。そこには在韓日系企業で働く日本人と韓国企業で働く韓国人がいました。
私より断然歳上の日本人店主と企業で働く日本人がいらっしゃいましたが、気さくで私をとても可愛がってくださいました。それだけでなく参加していた韓国人も私と仲良くしてくださり、よく交流するようになりました。
旦那にそこへ連れて行ってもらって以来、元気をもらった私は韓国ブログを書き始めるなど行動するようになりました。
ある日、日韓交流会のメンバーである韓国人が私に
「日本語教えてみない?紹介したい学生がいるんだけど」
と声をかけてくれました。
初めは日本語教師の資格もないのにお金をもらって教えてもいいのかな…と不安な気持ちでしたが、仕事の依頼が来たことがとても嬉しくて
「はい!経験はないですけど、一生懸命頑張ります!」
と言って引き受ける事にしました。この時が私の
「なぜ日本語教師になったのか」
についての原点と言っても過言ではありませんでした。
引き受けた学生は日本語能力試験n3の合格を目指してる男子学生でした。この男子学生は見た感じ、タトゥーをしている厳つい兄ちゃんで、いかにも勉強には縁が無さそうな学生でした。
でも、性格は男らしくサラッとしていて気前のいい学生でした。
この学生との話は次回追記で書いていきたいと思います。
本日のテーマであった
【韓国になぜ来たのか】
【なぜ日本語教師になったのか】
についての私の生い立ちを書かせていただきました。
最後まで呼んで下さりありがとうございました。